サカナ記念日

神秘熊野から魚便りをお届けします。

懐かしの熊野の漁業 今昔物語

八十キロもあるマグロのはねているのをしめて、料って食べるんですが、おいしかったね。皆が食べるマグロは赤いやろ、けど獲りたてのは薄いピンク色した半透明の肉で、 血の模様がすけて見えたもんや。

 

熊野の漁師の思い出話です。今から約30年前に書かれた『私たちの郷土』という本の中で紹介されている話です。この本は当時、荒坂中学校に通っていた中学生がまとめた郷土研究資料です。熊野市立図書館で見つけました。荒坂中学校は熊野市二木島町にあった中学校です。(現在では廃校になっています)この話の他にも、興味深い話が出ておりましたので、二つ紹介します。

 

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熊野市立図書館です。

まずはサンマ漁の話を紹介します。今から約30年前に85歳だった漁師の方が、若かりし頃のサンマ漁について語っています。ということは今から100年近く前の話になりますね。当時は機械船が導入される前で、櫓をこいで漁に出ていたそうです。当時はイルカが沢山いたようで、イルカがサンマを追い回してサンマの群れを集めてくれることがよくあったそうです。そのサンマの群れに網をかけて一網打尽にしたそうです。イルカがいないときには、サンマに向かって石を投げて、サンマを追い立てて魚群を作ったそうです。一回の漁で20トンもの水揚げを記録した時もあったとのことです。

 

次はマグロ漁の話です。今から約30年前に46歳だった漁師の方の若かりし頃の思い出話です。ということは今から50年くらい前の話ですね。当時、巻網漁でマグロを獲っていたそうです。15人程で掛け声を合わせながら、1~2時間もの間、手で網を引いて水揚げしたそうです。最後は若い衆が海に飛び込んで、暴れるマグロの尾をロープで縛って、クレーンで船に水揚げしたそうです。10時間以上も海に入っていることがあったそうで、大変な重労働だったことでしょう。その時は80kgほどのキハダマグロを千尾も獲ったそうです。

 

翻って現在。現在の漁業は機械化が進み、かつてに比べると漁師の方の肉体的負担は大幅に軽減されました。テクノロジーの進展は、利便性を大幅に向上させてくれました。大変有難いことです。と同時に失ったものもあるのかもしれません。大漁を成し遂げた時の喜びは、現在より昔の方が大きかったような気がします。苦労が大きかった分だけ、喜びもひとしおだったことでしょう。かつては、水揚げに応じて日本酒を支給する漁協もあったそうで、大漁の日は海の上で飲んで踊っての宴会をしたこともあったそうです。大海原に響く歓声がどこかから聞こえてくるような気がします。

 

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